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読書-伝記(日本:単独・中世以前):雨読夜話

ここでは、「読書-伝記(日本:単独・中世以前)」 に関する記事を紹介しています。



岩田 慎平 (著)
中央公論新社 (2021/12/21)


北条義時と、彼が生きた時代の朝廷や武士団、鎌倉幕府などの変遷を語っている歴史読み物。
著者の肩書は神奈川県愛川町郷土資料館の学芸員を務める、日本中世史の歴史学者となっている。

はじめの方はそもそも義時が史料に登場しないので、後白河法皇や頼朝、平清盛などの話が多く、頼朝が平治の乱の前に後白河法皇の近臣となっていたことがその後に長く影響を与えていることや、清盛が政権を握っていた時期も嫡男の重盛のように平氏一門の中に後白河法皇となっていて扱いが悪くなっていたことなどが書かれているのが印象に残る。

この時代の武士たちが近隣でお互いに争っていて攻撃するきっかけをうかがっているところがあり、頼朝が生きていた頃は抑えられていたのが死後に梶原や比企が滅ぼされたり、承久の乱などでも仲が悪かった者同士がすぐに敵味方に分かれるのも分かりやすい。

後鳥羽上皇が院政を主導した朝廷と鎌倉幕府も実朝が暗殺されるまではほぼ良好な関係を続けていたり、征夷大将軍が必ずしも鎌倉殿とイコールでないこと、朝廷と武家は対決ではなく軍事部門の権門として忠実な時が多いが自身の利害と関係したら反抗をためらわない関係だったらしいことなど、過去の通説などと異なる興味深い話が多かった。





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関連タグ : 北条義時,


山本 みなみ (著)
小学館 (2021/12/23)


鎌倉歴史文化交流館の学芸員を務める歴史学者による、北条義時の事績を語っている作品。

著者が30代と若いこともあって最新の研究成果が反映されていたり、著者の説が書かれているようで、類書に書かれていない話が多くて興味深い。

例えば、北条氏が領地や兵が少なかったのは京都に拠点を置いていた時期が長かったためで、その代わりに朝廷にコネがあったことや、頼朝の浮気に対して政子が「うわなり打ち」を命じたのは牧の方の父の牧宗親ではなく兄の大岡時親だったという説、実朝暗殺時の記述が『愚管抄』と『吾妻鏡』で異なっている理由には『吾妻鏡』で義時らの警備体制がまずかったことを隠蔽する意図があったのでは?という話などである。

また、承久の乱で朝廷を破って後鳥羽上皇らを流刑にしたことから評価が時代によって大きく異なり、武内宿禰に例えられたり逆賊にされたりといった話も印象に残る。

かなり読みごたえがある作品だったので、著者には他のテーマでも歴史読み物を書いてほしいと思っている。





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関連タグ : 北条義時,


近藤 成一 (著)
三笠書房 (2021/12/17)


大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の主人公である北条義時について、危機をどのように乗り越えて権力を確立していったかを解説している作品。

義時が関わった牧氏の変、和田の乱(和田合戦)、実朝暗殺、承久の乱の4つと、義時死後に発生した伊賀氏の変の合計5つの危機が大きく扱われていて、頼朝に従っての源平合戦や時政が梶原や比企を滅ぼした戦いなどはやや扱いが小さい。

また、文書の発行形式や資料についての話が多いという印象で、マニアックな感じがする。

義時を扱った作品だと、先日読んだ『北条義時 鎌倉幕府を乗っ取った武将の真実』の方が好みである。





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関連タグ : 北条義時,


濱田 浩一郎 (著)
星海社 (2021/6/25)


今年の大河ドラマの主人公である北条義時の生涯を描いた歴史読み物。

歴史的な背景としては先日読んだ『北条氏の時代』である程度理解していて、鎌倉時代の武士や御家人は命の価値を低く見ており、その上名誉欲や物欲が高いために木曽義仲や平家、奥州藤原氏といった共通の敵を滅ぼした後に内部抗争が続いたのも分かる。

義時は頼朝の義弟ということもあるが、親衛隊のトップに任じられたり、頼朝と舅に当たる父・時政が頼朝の浮気がらみで少し対立して時政が伊豆に引き上げた時期に父に従わずに鎌倉に残ったことなどから、頼朝からの信任が厚かったことが書かれている。

頼朝の死後に北条氏が次々とライバルたちを葬っていた時期は時政に従い、時政の後妻である牧の方の影響力が大きくなって排除される恐れが出てくると、姉で頼朝未亡人の政子と組んで時政を排除するなど、したたかな印象も強い。
本書では義時のことをメインで書くという意図からなのか、承久の乱についての話は控えめになっている。

少し意外なのが面倒見がいい人物だったらしいことで、頼朝から叱責を受けた御家人を取りなしたり、自分の配下の待遇改善を三代将軍・実朝に願い出るなど、上司として優れた面も多かった印象を受ける。

必ずしも知名度が高いとは言えない義時のことを史書などから描き出されており、興味深く読んだ。





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井沢 元彦 (著)
宝島社 (2021/3/10)


武田信玄について、『甲陽軍鑑』の記載を中心に著者の見解を述べ、「武田信玄が天下を取るにはどうしたら可能だったか?」というIFも含めて書かれている作品。

まず、武田信玄の重臣だった高坂昌信が書いて小幡景憲が遺したとされる『甲陽軍鑑』は明治以降の歴史学界では「小幡景憲が自身の軍学を拍付けするために高坂昌信が書いたことにした偽書」という見方がされていたが、近年になって国語学の酒井憲二氏の研究により、戦国時代でなければ書けない言葉遣いということから、偽書ではないということが明らかにされたことを紹介していて、少し驚いた。

この偽書説は(小幡流よりも後に軍学流派を立てた)山鹿素行の弟子で平戸の大名・松浦鎮信が『甲陽軍鑑』の悪口を書いたことに起因していて、著者はそれを採用した当時の歴史学界の重鎮であった田中義成のことを「常識がない」とばっさり切り捨て、歴史の研究が遅れたと語っている。

そこからは軍師とされた山本勘助や武田二十四将の履歴や、上杉謙信との川中島の合戦の事情や勝敗の判定、信玄が金山を持っていてお金があったことや農業土木での実績などの話が続いている。

そして終盤では、武田信玄が北信濃や西上野に進出した戦略的なミスや、領土拡大の後に本拠地として想定した星谷(神奈川県座間市周辺)という選定センスのいまいちさ、信長に勝利して天下を取るためにはどうすれば良かったのか?といった話をしている。
このあたりはあくまでIFの話で、現実的にはそれらの選択をすることは難しかっただろうとも感じた。

『甲陽軍鑑』が史料としての扱いが上がったことで、今後どのように研究が進んでいくのか楽しみにしている。




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