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読書-伝記(日本・単独):雨読夜話

ここでは、「読書-伝記(日本・単独)」 に関する記事を紹介しています。



乃至 政彦 (著)
河出書房新社 (2019/9/26)


惟任日向守光秀の事績を史料からたどり、通説とは異なる部分が多々あることを語っている作品。
よくあるNHK大河「麒麟がくる」の便乗本だと思っていたが、タイトルに「明智」を使わないようにしたとあとがきで書いているなど、著者の『天下分け目の関ヶ原の合戦はなかった』のように少し驚くような話が多く扱われている。

まず、光秀が土岐氏に連なる明智氏の出身というところから怪しいと見ていて、「麒麟がくる」で斎藤道三から毒殺される土岐頼充(頼純)に仕えていた武士だった可能性が高いものの、仮に明智の系譜に連なったとしてもかなり傍流で、家柄が良かったら美濃を離れてから10年も貧窮生活をしていないと語っている。

軍記ものでは光秀が日本各地を巡って戦国大名たちと出会ったというのも身分から行くと無理があるが、光秀が当時では武田・上杉・北条でしかやっていなかった兵種別の軍編成をできていたことから、東国で軍事を学んだことまでは合っているという。

そして、信長からつけられた惟任(これとう)という苗字も九州の名族だったというがそれ以前には史料になく、信長は任(いとう≒伊東)とつけたのを、信長のネーミングセンスのダサさ(日向の伊東氏の偽物みたい)から惟任に変更したという話には驚かされた。
ちなみに、丹羽長秀がつけられた惟住(これずみ)という苗字も、維住(いずみ≒出水)だったという。

信長についても通説と大きく異なる話が多く、特に信長は室町幕府や足利義昭を軽視していたとされがちだが、元々は中央の政治にはあまり関心がなく、義昭や細川藤孝、光秀らに巻き込まれてからも室町幕府を継続してその実権を握る形を目指していたという話に驚かされた。
ただ、義昭の言動には朝廷、京の人々、秀吉など信長の家臣たちは既に見切りをつけていて、実現するために苦慮していたという。

他にも、「天下布武」の印章についても、特に日本を支配したいとか畿内を支配したいとかではなく「単純に文字のデザインがかっこいいから」という理由で、だからこの印がついた書状を受け取った他の大名も特に怒ったりもしていないという話などが面白かった。

最初の方は史料の考察の話に少し退屈していたが、途中からは通説と大きく異なる話がいくつも出てきて、非常に興味深く読むことができた。






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早島 大祐 (著)
NHK出版 (2019/11/11)


歴史学者による、明智光秀が信長の家臣になる前の話や、織田家での仕事のやり方などについての研究結果を解説している作品。
サブタイトルに「牢人医師」とあるのは、医学関係者との交流が多かった理由には世に出てくる前は町医者みたいなことをしていたからでは?という考察がなされていることによる。

興福寺の記録や、光秀など織田家関係者の書状、上洛していた島津貴久の書状などが史料として用いられていて、どのように考察しているのかの一端を知ることができるのが興味深い。

光秀には、「御妻木殿」と呼ばれ、信長の側室に入っていた妹(側室というよりも社長秘書みたいな役割?)がいて、例えば丹波攻めが波多野秀治の反乱などで最初失敗した際もとりなしてもらったなど助けてもらっていたらしく、彼女が亡くなって信長へロビー活動しづらくなったことが本能寺の変に影響を与えたという可能性があるとの話は理解しやすい。
この話は以前読んだ『明智光秀 残虐と謀略 一級史料で読み解く』にも出てきたので、それだけ役割は大きかったのだろう。

また、信長が足利義昭を奉じて上洛した際は、自称の官名?である「弾正忠」とか「上総介」では軽すぎて畿内では通用しないと思われたのか、家臣たちも書状で「信長」と呼び捨てで書いていた話も少し驚かされる。
そして、信長の重臣たちが、信長からは基本方針は示されるが細かなところは丸投げで、臨機応変な判断を求められていた話など、武将としてよりも政治家としての活動の話が新鮮で面白い。

信長が多くの軍を多方面で早く展開させるために関所を廃止したのはイメージしやすいが、道路のインフラ整備にも力を入れていて、その過程では土木技術者の取り合いが起こったり、光秀も含む将兵が長距離の移動で疲弊していたことなど、言われてみればその通りと思える話も多い。

インフラや書状から読み取れる統治の話が多く、新たな光秀の一面を知ることができてなかなか良かったと思う。






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明智憲三郎 (著)
河出書房新社 (2019/12/24)


ベストセラーになった『本能寺の変 431年目の真実』をはじめとする一連の著作群の完結編(?)とも言うべき作品で、光秀が死んだ後に光秀の親族や子孫がどのように生き延びてきたのか?などを考察している。

前作で光秀の不明とされてきた生涯を考察している『光秀からの遺言: 本能寺の変436年後の発見』は面白かったが、謀反人のレッテルを貼られた人物の関係者と知られると迫害を受けたり殺害されるリスクを避けるために隠すわけで、史料が限られることもあり、本書は面白さの点では落ちるという印象である。

比べなければ面白い部分もあり、例えばタレントのクリス・ペプラーの母方の祖先に土岐頼勝という大名がいて、この人物が光秀の子供だったのではないかという考察に驚かされたりした。

そして、秀吉が自身や細川氏などの関係者の悪行を隠して光秀だけを悪人にしたり、戦前の日本が朝鮮に進出するに当たり秀吉を持ち上げるためにまたも光秀を貶めるプロパガンダにより、光秀の子孫が大変な被害を被ったという話も納得しやすい。

読み続けてきたので本書も読んだ形だが、ちょっとおなか一杯になった部分がないでもない。






本能寺の変 四二七年目の真実
Posted with Amakuri
明智 憲三郎
プレジデント社 2009/3/1

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勝海舟の言葉やエピソードから、人生訓などを語っていると思われる作品。

・・・なのだが、私の考えがひねくれている可能性は認めるとして、勝海舟にかこつけて著者が現代人や現代社会にあれこれ説教を垂れているような雰囲気が前面に出ているように感じられ、つまらなかった。

多分、『氷川清話』や勝海舟の伝記で既に知っている話が多かったり、勝のホラ吹きなところや煙たがられた残念な面も知っていて、著者が手放しで崇拝しているところに違和感を持ったためではないかと思う。






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裏がえしの自伝 (中公文庫)
梅棹 忠夫
中央公論新社 (2011-04-23)



人類学者で国立民族学博物館の設立や世界各地での学術調査、『文明の生態史観』『知的生産の技術』といった著作など多くの業績を残した梅棹忠夫による、さまざまな事情や自身の素質などでならなかった、あるいはなれなかった職業や生き方について語った、自身のIFを扱った変則的な自伝。

「ぼくは大工」、「ぼくは極地探検家」、「ぼくは芸術家」、「ぼくは映画製作者」、「ぼくはスポーツマン」、「ぼくはプレイボーイ」の6編が収録されている。

この中では南極探検隊の隊長になる話がきていた話が最も魅力的なIFなのだが、そちらに進んでいたら『モゴール族探検記』のような中央アジアの砂漠地帯での業績がなかった可能性が高く、著者が語っているように砂漠に深入りしていたのが運命の分かれ目だったということなのだろう。

一方で著者が一時期やっていた俳句があまりにもひどくて先生から破門された話も隠さずに披露していて、多才な学術界の巨人もスーパーマンではないことを知って親しみが持てる。

2012年に日本科学未来館に特別展「ウメサオタダオ展 —未来を探検する知の道具—」を観に行った時にさまざまなもののスケッチが大量に展示してあり、それが異常に上手いできばえだったことを記憶していたが、元々絵や空間認識についての素質や関心があって学術調査に活かされたことが分かって納得できた。

他にも桑原武夫や今西錦司、西堀栄三郎といったそうそうたる人物との交流や、初期から関わる機会が多かった映画やテレビの世界や業界人に対して不信や疑問を抱くようになってテレビ出演をしなくなったなど、現在のマスコミ不信につながる話が語られているのも興味深い。

本作は正規の自伝に当たると思われる『行為と妄想 わたしの履歴書』の外伝のような位置づけをされるみたいなので、『行為と妄想』にも関心を持っている。








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