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『本能寺の変 431年目の真実』:雨読夜話

ここでは、「『本能寺の変 431年目の真実』」 に関する記事を紹介しています。
【文庫】 本能寺の変 431年目の真実 (文芸社文庫)
【文庫】 本能寺の変 431年目の真実 (文芸社文庫)
明智 憲三郎
文芸社 2013-12-03

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明智光秀の子孫に当たるという人物による、本能寺の変を「歴史捜査」と称する手法で解明を試みている作品。

本能寺の変では光秀の怨恨説や野望説、ノイローゼ説、朝廷や足利義昭などによる黒幕説などが広く知られているが、勝者である秀吉が書かせた『惟任退治記』やそれを元にした軍記ものである『甫庵太閤記』で印象付けられている部分が大きいという。
そして怨恨説などの個人的な心理状況に基づく説に対しては「三面記事史観」とばっさり切り捨てている。

さらに、例えば司馬遼太郎の『国盗り物語』などでも描かれている、光秀が美濃の明智城主の息子で濃姫(斎藤道三の娘で信長の正室)の従兄弟という説も疑わしいという。

こうした俗説に対し、フロイスら宣教師たちの報告書、公家の吉田兼見や山科言経、家康家臣の松平家忠、奈良の寺院などがつけていた日記など信憑性が高いと思われる史料の記述から、事件の捜査を行うような感じで推論を組み立てている。

それらによると光秀は元々細川藤孝の家臣だった可能性があったり、計画的に物事を進める人物で発作的に謀反を起こすようなタイプではないなど、一般的にイメージされる人物像と異なっていることが分かる。

そして武田攻め後に信長一行が家康領を訪れた「富士山見物」や、家康と穴山梅雪の安土や堺の訪問した際の不自然な点、家康の伊賀越えとその後の出兵、秀吉のあまりに早過ぎる中国大返しなど、ミステリーを解くような感じで自論を展開していく。

ネタバレになるので具体的に書けないのがつらいが、よく売れていることが納得できる内容の作品に仕上がっていると思う。
歴史の謎は興味深いものだと再認識した。





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2016/01/13(水) | 観・読・聴・験 備忘録