『司馬遼太郎が語る 7 キリスト教文化と日本』:雨読夜話

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司馬遼太郎が語る 7 キリスト教文化と日本 [新潮CD]
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司馬 遼太郎
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司馬遼太郎の講演をCD化した作品の第7作で、同志社大学での講演を収録している。

同志社大学の設立者は一昨年のNHK大河ドラマ『八重の桜』でも知られる新島襄で、クリスチャンだった新島は倜儻不羈(てきとうふき)という、自由や独立を重んじた言葉を遺言に残した話をしている。

これは明治時代によく使用された言葉のようで、大学設立者として比較されがちな大隈重信(早稲田大学)や福沢諭吉(慶應義塾大学)も似たようなことを言っているという。

同志社大学は「キリスト教精神に基づいて」設立された大学としているが、例えば青山学院大学や明治学院大学、関西学院大学などはミッション系の大学で、他にも聖路加病院やラ・サール高校など多くの施設がキリスト教教団によって設立されているにも関わらず、日本でクリスチャンが増えないことに話が移る。

宣教師として有名なザビエルが、日本人から「神が世界を造ったのなら、なぜ今頃あなた方が布教に来るまで我々は神の存在を知らなかったのか?」と質問されるなど知的レベルの高さに驚いた話を紹介し、その日本人でも理解できないものとして「絶対」があるとする。

この「絶対」とは明治時代に東大で哲学を学び、親鸞の教えをヘーゲル哲学で再構成した清沢満之(きよざわまんし)が使っている言葉で、あるとかないとかを超越した概念のことを指しているようである。

仏教の空(くう、インドでの原義はゼロ)もそうであるように多神教では相対的な概念で説明できることが多いが、一神教では「絶対」という概念が必要であり、これが分からなければ欧米の理解も制限されるようである。

岩波文庫から出ている、読んだことのない古典を何冊か紹介もしていて、ちょっと関心を持った。
司馬氏が聴衆の反応を見ながら話していることが伝わってきて、面白かった。




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