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『街道をゆく 18 越前の諸道』:雨読夜話

ここでは、「『街道をゆく 18 越前の諸道』」 に関する記事を紹介しています。
街道をゆく 18 越前の諸道 (朝日文庫)
街道をゆく 18 越前の諸道 (朝日文庫)
司馬 遼太郎
朝日新聞出版 2008-12-05

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司馬遼太郎が旅の過程で歴史雑学を語るシリーズの第18作で、福井県の越前側を訪れている。

ここでは道元が始めた曹洞宗、白山の山岳信仰と仏教が習合した平泉寺(白山神社)、一向宗と3つの宗派の話があり、越前ゆかりの人物としても(三国出身とされる)継体天皇、朝倉敏景(孝景)、朝倉義景、柴田勝家、結城秀康、松平慶永などがいて、多くの話が語られている。

道元は中国かぶれの傾向のあるストイックな人物で教えも厳格だったのだが、三代目の教主になった義介(ぎかい)が経営能力の高い野心家だったために大衆受けする路線に切り替わり、結果として(東西本願寺を別でカウントすると)日本で信者が最も多い宗派になったことが書かれている。

平泉寺については中世に比叡山の支援を受けて勢力を拡大し、多数の僧兵を擁して政治への介入もたびたびだったらしいが、民衆を搾取や労働力確保の対象としか見てこなかったらしく、朝倉氏滅亡後に一向一揆が発生した際には地元の領民によって焼き打ちされたあたり、嫌われていたであろうことが読み取れた。
おそらく西欧にいたキリスト教系の○○騎士団とかいうのが日本ではこれに当たるのだろうと思った。

中世に宗教が堕落した例には一向宗も挙げていて、顕如が朝廷に献金して門跡を与えられて貴族化したり、一向一揆が一時期越前を占領した際には本願寺の坊官が守護代として重税を課した結果民衆の支持を失って内乱が起こり、信長に攻められると各地で敗れた話をしている。

越前の土地柄としては近畿に近くて日本海貿易の拠点でもあったことから古くから開け、狭いながらも豊かな土地だとしている。
そのため歴史で重要な役割を果たすしばしば人物が出てくるが、ハングリーさが足りないことや地形が守りに適していないことなどもあり、天下を取るところまでいかない場合が多いとしている。

インパクトがあったと思われるのは、応仁の乱に乗じて斯波氏の家臣から守護にのし上がった朝倉敏景で、『孝景条々17か条』にあるように中世的な権威をあまり気にしない合理的な思考をした人物だったようである。
越前にあった公家や寺社の荘園を横領していて、古典学者としても知られる公家の一条兼良が荘園を返してほしいと敏景にお願いに行って断られた話が紹介されているのも興味深い。

他にも三国を中心とした日本海交易、江戸時代に和紙や鎌、漆器などが名産品で各地に売り歩いていた話などが書かれていて、挿絵を担当する画家の須田剋太が道元に心酔していることもあり、多くのエピソードが収められている。

終わりのほうにあった焼き物の話は関心がなくてあまり面白くなかったが、それ以外の部分で言えばこれまで読んだシリーズの中でもなかなかいい方の作品だと思っている。





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