『街道をゆく 11 肥前の諸街道』:雨読夜話

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街道をゆく 11 肥前の諸街道 (朝日文庫)
街道をゆく 11 肥前の諸街道 (朝日文庫)
司馬 遼太郎
朝日新聞出版 2008-10-07

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『街道をゆく』シリーズにおける、福岡から玄界灘沿いに唐津、平戸、そして長崎への旅を扱っている作品。

糸島市の今津あたりで元寇にまつわる蒙古塚という史跡を探して通りかかった人に聞いたところ、その人が実は郷土史家だったという偶然があったり、唐津で朝鮮征伐にまつわる史跡をめぐっていると宿に着く頃に真っ暗になったなど、多くのエピソードを交えて各地の歴史を語っている。

平戸では吉田松陰が山鹿流兵法を学びに訪れた話や、戦国時代に松浦隆信が倭寇の頭目だった王直に自分の屋敷を譲ったり、ポルトガル商船を招致しながらキリシタンへの改宗を拒否した話、江戸時代初期にオランダ商館やイギリス商館が営業していた話などが扱われている。
そして平戸城の近くに文化会館があって景観を損ねていることに愚痴を言っていたりもする。

その後は佐世保、ポルトガル商船が一時期来ていた西海市の横瀬を訪れている。
この横瀬は松浦氏との交渉を諦めたポルトガルが大村純忠に招かれて寄航していたが、純忠の義弟だった後藤貴明らの勢力によって焼き打ちにあい、その後寄港地が長崎近郊の福田、その後長崎に移っていることが書かれていて、知らなかったことが多い。

そしてポルトガル側から良港と評価された長崎の話になる。
この地は長崎甚左衛門という豪族の領地だったが、純忠の指示で大村領となり、その後対立する龍造寺氏の攻撃を防ぐためにイエズス会に寄進され、秀吉がこれを知ってキリシタン弾圧につながるという数奇な歴史をたどる。

室町時代から江戸時代初期にかけての、この地方における海外との交易についての話が分かりやすく書かれているのと、ところどころでちょっと変で魅力的な人々とのエピソードが入っていたりして、興味深く読むことができた。





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