『街道をゆく 21 神戸・横浜散歩、芸備の道』:雨読夜話

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街道をゆく〈21〉神戸・横浜散歩ほか (朝日文庫)
街道をゆく〈21〉神戸・横浜散歩ほか (朝日文庫)
司馬 遼太郎
朝日新聞社 1988-09

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司馬遼太郎の代表的なシリーズの第21作で、広島県と神戸、横浜を訪れている。

「芸備の道」では毛利元就の居城・郡山城があった吉田町(現在は安芸高田市)や三次盆地を訪れていて、安芸門徒や元就、福島正則、浅野氏、三次盆地の古墳などについて語っている。

元就については安芸門徒を制御できた偉大さや、早くに両親を亡くした少年時代にかわいがってくれた継母の教育もあり、宗教的に敬虔だったと思われるエピソードが紹介されている。
安芸門徒と呼ばれるだけあってここでは浄土真宗の影響が強く、迷信を排除する傾向があったことから民話があまり残っていないという話につながっている。

毛利氏は関が原の合戦後に長州に押し込められることになるが、毛利の家臣で長州についていって百姓になった者も多く、幕末に高杉晋作が奇兵隊を結成して成功したのは「毛利の家臣」という意識が民衆レベルで共有されたためで、他の藩ではまずできなかったであろうと書かれているのになるほどと思った。

毛利氏の後に安芸・備後を治めたのが福島正則で、その後が浅野長政を祖とする浅野氏だったが、浅野氏は毛利元就が治めていた土地ということで緊張感を持って政治を行ったらしく、代々の藩主に常識的な人が多かったことからまずまず評判が良かったようである。

「神戸散歩」では先日逝去された作家の陳舜臣氏など多くの友人たちとの出会いや、神戸や京都の人から見ると著者のように大阪に住むことは笑止と思われていると自虐するなど、他の作品に比べて身近なエピソードがちょっと面白い。

神戸は開港後に外国人居留地として発展したことによって他と文化が異なることや、江戸時代は尼崎藩領から幕府直轄地に変わってから大阪からの締め付けに悩まされた話、幕末に勝海舟が神戸海軍操練所を造った話、外国人墓地に葬られている外国人たちの業績などが書かれている。

「横浜散歩」では横浜と神奈川が離れた場所にあり、江戸幕府が開国交渉の際に神奈川を開放すると言いながら実は横浜を開放しようとしたという少々姑息なやり方をし、欧米諸国からのイメージが悪かったという話をしている。

以前は大きな船が接岸できずに沖に停泊するしかなくて波止場の建設が必要だったのが、度重なる動乱や戦争のために建設まで時間がかかったことや、幕末に小栗上野介によるインフラ作りが後々役立った話などが紹介されている。

本作でも他のシリーズ同様、あまり知らなかった場所の歴史やエピソードを知ることができ、興味深く読むことができたのではないかと思う。




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