『街道をゆく 14 南伊予・西土佐の道』:雨読夜話

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街道をゆく 14 南伊予・西土佐の道 (朝日文庫)
街道をゆく 14 南伊予・西土佐の道 (朝日文庫)
司馬 遼太郎
朝日新聞出版 2008-11-07

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司馬遼太郎の歴史紀行シリーズの第14作で、愛媛県を訪れている。
江戸時代の藩では県庁所在地のある松山藩よりも大洲藩や宇和島藩、宇和島藩の支藩である吉田藩の方が多く扱われている。
副題には西土佐ともあるが、何らかの都合があったのか訪れたことがほとんど書かれていない。

大洲藩では秀吉の家来だった脇坂安治、次いで加藤光泰を祖とする加藤氏が藩主となって明治まで続いていたことが書かれている。
江戸中期に加藤泰侯という藩主が領内で産出する砥石の削りくずから焼き物ができないかと思いついて家臣に調査を命じ、砥石ではうまくいかなかったものの良質な陶土が見つかったために砥部焼ができたエピソードが書かれている。
以前友人と訪れたことのある内子町のことも書かれており、蝋や白壁のことを思い出した。

宇和島藩では戸田勝隆(暴君)、藤堂高虎(名君)、富田信高(著者曰く粗末な男)と藩主が代わり、伊達政宗の長男である秀宗が藩主となってから明治まで続いている。

ここではまず、政宗から派遣された家老の山家清兵衛についての話が印象に残る。
彼は当初からの財政難を乗り切るに当たって年貢を増額することに反対して給与カットを主張した結果、秀宗あるいは反対派が差し向けたと思われる刺客に暗殺されたが、領民に慕われていたことや祟りを恐れられたために和霊神社として祀られているという。

他にもシーボルトに蘭学を学んでシーボルトの娘イネを保護した二宮敬作や、幕末の四賢侯に挙げられる伊達宗城、宗城の先代で殖産興業に成功して宗城が活躍する財政基盤を築いた伊達宗紀などの話が書かれており、特に宗紀の業績はもっと知られてもいいように感じた。

それ以外では吉田藩での武左衛門一揆や伊予と土佐の住民間でのいざこざ、佐賀の乱で敗れた江藤新平がこのあたりを逃亡していた話などが扱われている。

行ったことのある場所が扱われていた分、より興味深く読んでいくことができた。




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