『秀吉ではなく家康を「天下人」にした黒田官兵衛』:雨読夜話

ここでは、「『秀吉ではなく家康を「天下人」にした黒田官兵衛』」 に関する記事を紹介しています。
秀吉ではなく家康を「天下人」にした黒田官兵衛 (双葉新書)
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跡部 蛮
双葉社 2013-11-06

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「秀吉の軍師として天下統一に貢献」とか「天下を狙っていた」というイメージを持たれることの多い黒田官兵衛(孝高、如水)について、こうしたイメージは秀吉の宣伝戦略や後世の黒田藩による美化などの脚色による部分も多いとして、史料からより実像に近い官兵衛像を考察している作品。

播磨の小寺家に仕えていた官兵衛は信長へ一人で謁見に行った際は秀吉が取り次ぎ役だったかのように思われているが、実際は小寺家以外にも別所家、赤松家とセットで行った形で、しかも取り次ぎ役は播磨の隣国である摂津を治めていた荒木村重だったというところでいきなり意外な思いに打たれる。

他にも官兵衛とライバルでもあり親友でもあったと思われがちな竹中半兵衛は官兵衛をそれほど評価していたかどうか疑わしかったり、秀吉から叱責された出来事も通説で語られるのと異なる理由からだったのではないかなど、興味深い話がいくつも入っている。

そして史料からは毛利家と和平交渉や境界線の確定交渉を通じて信頼関係を築き、毛利家の有力者である吉川広家を家督相続の際に後押しして協力者になってもらったり、息子の長政とともに関ヶ原の合戦で家康からかなりの信頼や期待を得ていたことなどが書かれていて、通説のイメージとは異なっても官兵衛の偉大さは損なわれるものではないとも思った。

そうした話からすると、関ヶ原の合戦の後で長政から報告を受けた際に「そのとき左手は何をしていたのか?」(なぜ家康を刺さなかった?)と語ったという話もかなり疑わしいと書かれていて、これもまた驚く。

黒田家の出自に関する話もあり、島津家が官兵衛のことを「たかが目薬屋」(からの成り上がり)と見下していたのに対し、官兵衛は「トンビが鷹を生んでこそ、偉いのではないか」と実力でのし上がったことを誇ったという話は痛快さを感じる。

ところでころで変換ミスや間違いがあるのは注意しなければならないが、官兵衛に関する興味深い話がいくつも書かれていて興味深く読んだ。
改めて有名だが謎も多い、深みのある人物だったのだろうと思っている。






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