『「桶狭間」は経済戦争だった-戦国史の謎は「経済」で解ける』:雨読夜話

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「桶狭間」は経済戦争だった (青春新書インテリジェンス)
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武田 知弘
青春出版社 2014-06-03

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信長と他の大名の経済的なセンスの差から、戦国時代を解説している作品。
以前読んだ『織田信長のマネー革命 経済戦争としての戦国時代』の続編のような位置づけとなっている。

桶狭間の合戦で今川義元は上洛ではなく知多半島における交易の利権を狙って侵攻したと思われることや、駿河・遠江・三河の生産力では通説ほどの軍勢は集められないはずで、『信長公記』などで話が盛られた可能性が高いという。

そして地図上では面積が狭い印象のある尾張は肥沃な上に伊勢湾交易で農業生産と匹敵するくらいの利益を出していて、織田軍と今川軍の差はせいぜい2倍かそこらだったのではないかとしている。

その時期に信長の居城だった清須城の遺構からはイメージされるよりも巨大な城だったことから、多数の常備軍を収容していて活用していたことが推定されるという話に驚く。

生産に関わらない常備軍を運営するには当然多額の金がかかるが、それを実現できるほどに豊かだったということでもある。

そして義元の他に、信長と武田信玄、毛利元就、上杉謙信との比較もしている。

まず信玄の場合、領国が生産高が低い上に経済封鎖を受けやすい内陸国という悪条件があり、、そんな中で治水事業や金鉱の開発、重税などによって強大な勢力を組織したことを評価すべきだという。

三方ヶ原の合戦で家康が武田軍に攻めかかったのは面子の問題もあったのだろうが、武田軍の装備が遅れていて甘く見ていたのではないかと書かれているのに驚く。
浜松城を攻めなかったのも短期間で攻略できる自信がなかったためとしていて、その理由なら納得しやすい。

それでは鉱山や港湾の利権を握っていて経済的に豊かだった元就や謙信の場合はなぜ信長に勝てなかったのか?という話に移る。

これは寺社勢力や国人層の権益に手をつけられなかったことや、収益を政治や軍事に十分に活用できなかったこと、そもそも天下統一への意識がなかったことなどを原因に挙げている。

戦国時代を経済的な背景から分かりやすく解説していて、前作同様に興味深く読むことができた。






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