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『光秀からの遺言: 本能寺の変436年後の発見』:雨読夜話

ここでは、「『光秀からの遺言: 本能寺の変436年後の発見』」 に関する記事を紹介しています。


ベストセラーになった『本能寺の変 431年目の真実』の著者による最新作で、明智光秀の諸説ある出自や謎とされる部分が多い前半生などについての研究というか推察を語っている作品。

一般には光秀は美濃の土岐氏の一族に当たる明智氏の出で、斎藤道三が息子の義龍と戦って敗れた際に美濃を逃れて全国を旅したようなイメージが流布されているが、これは江戸時代の軍記物(つまりフィクション)の影響による部分が大きいらしい。
これに対し、マイナーなものも含めて多くの史料から光秀像を描き出そうとしている。

特に面白かったのは、4種類に分かれる明智氏の系図から、光秀が書かれているものは捏造の可能性が高いのでむしろ「光秀が書かれていない」系図の方に着目し、各時代の当主が活動していた場所や時代から、光秀が生まれるとしたらこのあたりと当たりをつけていくところで、そういう推定の仕方もあるのかと少し興奮した。

関連して美濃に住んでいた明智氏の定政は小さい頃に戦乱に巻き込まれて母方である三河の菅沼氏のところに逃れて菅沼藤蔵と名乗り、家康の家臣として活躍したことで明智定政、さらには没落していた土岐氏を継いで土岐定政という大名となった話は全く知らなかったので驚いた。

そして朝倉氏が支配していた越前に残る光秀の伝承や記録から、光秀は美濃から逃れて越前に住んでいた時代と、足利義昭に従って越前に住んでいた時代があるのではないかという話も印象に残る。

そしていくつか考えられる光秀の事跡から蓋然性が高そうなのを集め、光秀の年表を作成している。
おそらくこれはかなり手間がかかる作業だったのではないかと思っている。

本能寺の変にまつわる著者の説は他の作品で書かれているものだが、安土城を放火したのが(光秀を援護しようと向かっていた)家康の別働隊によるものだったのでは?という話は過去に読んだ本で出てなかったと思うので、少し驚いた。

どれくらいの信憑性があるのかは判別できないが、面白い内容であることは確かである。
次は光秀の子孫についての作品を出すみたいなので、チェックしておく。






本能寺の変 四二七年目の真実
Posted with Amakuri
明智 憲三郎
プレジデント社 2009/3/1

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