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『明智光秀: 牢人医師はなぜ謀反人となったか』:雨読夜話

ここでは、「『明智光秀: 牢人医師はなぜ謀反人となったか』」 に関する記事を紹介しています。

早島 大祐 (著)
NHK出版 (2019/11/11)


歴史学者による、明智光秀が信長の家臣になる前の話や、織田家での仕事のやり方などについての研究結果を解説している作品。
サブタイトルに「牢人医師」とあるのは、医学関係者との交流が多かった理由には世に出てくる前は町医者みたいなことをしていたからでは?という考察がなされていることによる。

興福寺の記録や、光秀など織田家関係者の書状、上洛していた島津貴久の書状などが史料として用いられていて、どのように考察しているのかの一端を知ることができるのが興味深い。

光秀には、「御妻木殿」と呼ばれ、信長の側室に入っていた妹(側室というよりも社長秘書みたいな役割?)がいて、例えば丹波攻めが波多野秀治の反乱などで最初失敗した際もとりなしてもらったなど助けてもらっていたらしく、彼女が亡くなって信長へロビー活動しづらくなったことが本能寺の変に影響を与えたという可能性があるとの話は理解しやすい。
この話は以前読んだ『明智光秀 残虐と謀略 一級史料で読み解く』にも出てきたので、それだけ役割は大きかったのだろう。

また、信長が足利義昭を奉じて上洛した際は、自称の官名?である「弾正忠」とか「上総介」では軽すぎて畿内では通用しないと思われたのか、家臣たちも書状で「信長」と呼び捨てで書いていた話も少し驚かされる。
そして、信長の重臣たちが、信長からは基本方針は示されるが細かなところは丸投げで、臨機応変な判断を求められていた話など、武将としてよりも政治家としての活動の話が新鮮で面白い。

信長が多くの軍を多方面で早く展開させるために関所を廃止したのはイメージしやすいが、道路のインフラ整備にも力を入れていて、その過程では土木技術者の取り合いが起こったり、光秀も含む将兵が長距離の移動で疲弊していたことなど、言われてみればその通りと思える話も多い。

インフラや書状から読み取れる統治の話が多く、新たな光秀の一面を知ることができてなかなか良かったと思う。






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