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『享徳の乱 中世東国の「三十年戦争」』:雨読夜話

ここでは、「『享徳の乱 中世東国の「三十年戦争」』」 に関する記事を紹介しています。

峰岸 純夫 (著)
講談社 (2017/10/11)


室町時代の関東で応仁の乱に先駆けて発生して30年もの間戦われた、享徳の乱について解説している作品。

戦国時代は応仁の乱から始まったとされることが多いが、著者は享徳の乱が始まりであり、応仁の乱にしても享徳の乱の処理が長引いたことが遠因としていて、読んでいくとなるほどと思わせてくれる。

構図としては以前読んだ水野大樹著『もうひとつの応仁の乱 享徳の乱・長享の乱: 関東の戦国動乱を読む』の記事にも書いた通り、室町幕府(足利義政・細川勝元)の支援を受けた関東管領(上杉氏)VS古河公方(足利成氏)でなされたもので、利根川(当時は東京湾に流れ込んでいた)沿いが前線となっていて、幕府方は武蔵の五十子(いかつこ)という地に陣を敷いて戦っている。

登場する人物や勢力が多すぎるためか、本書では代表として東上野の新田岩松氏を狂言回しのような扱いで紹介していて、一族内での争いや合戦での活躍、そして寝返り劇と、境界に位置する国人領主らしい動きが分かる。

戦いが長引くうちに、中世になされてきた「職の体系」と呼ばれる1つの土地に複数の領主(本家・領家・荘官・地頭など)が存在する土地システムが新田岩松氏のような国人たちに横領されたことで徐々に崩れ、1つの土地に1つの領主のみが存在する「戦国領主」が出現したことが書かれていて、その後に「戦国大名」が出現する前段階となっている。

この戦いも当然ながら双方ともに疲弊したようで、大雪で両軍が動かせなくなったことをきっかけに「都鄙合体」と呼ばれる和平が結ばれるが、幕府は目的だった成氏の討伐に失敗したわけで、成氏が勢力を確定した形となっている。

もう一方の上杉氏では長尾景春の乱や扇谷上杉定正による太田道灌暗殺などで内輪もめが発生し、「関東管領」という称号ではなく「大途」と称するようになった話も興味深い。

その後、周辺の甲斐、伊豆・相模、越後からはそれぞれ有名な戦国大名(武田信玄、北条氏康、上杉謙信)が登場するが、この地域から彼らに匹敵する存在が出てこなかったのも何となく分かるような気がする。

似た名前の人物が何人も登場して少し難しいが、知名度がやや低かった戦いについて丁寧に解説がなされていて、興味深く読むことができた。




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