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『関ヶ原大乱、本当の勝者』:雨読夜話

ここでは、「『関ヶ原大乱、本当の勝者』」 に関する記事を紹介しています。

日本史史料研究会 (監修), 白峰 旬 (編集)
朝日新聞出版 (2020/6/12)


関ケ原の合戦については近年、通説で考えられてきた内容とは異なる研究結果が続々と出てきており、そうした内容を複数の研究者たちによって書かれている作品。

まず、「関ケ原の合戦」と呼ばれるが、当時の史料では「青野ヶ原合戦」とか「山中合戦」とも書かれているものがあり、陣地や戦いの舞台などでの違いが呼び名にも表れているようである。
これは「姉川の合戦」は徳川軍の呼び名で、織田軍と浅井軍は野村合戦、朝倉軍が三田村合戦と呼んでいたことと似ている。

また、関ケ原は美濃での決戦の地で、狭義だと関ケ原の合戦だが、全国で戦われた一連の大乱を元号と干支から「慶長庚子の大乱」という呼び名を本書で提唱しているのも面白い。
「大化の改新」が「乙巳の変」と呼ばれるようになったように、そのうちにその名称が定着するかもしれない。

そしてこの大乱に参加した14人の武将たちの話がそれぞれ書かれている。
例えば石田三成が福島正則が味方することを当て込んでいたという誤算や、西軍の総大将に祭り上げられたと考えられた毛利輝元が九州や四国で勢力拡大を図っていたこと、前田利長が越前から撤退したのは大谷吉継の謀略のためではなく越後で発生した一揆に対応するためだったなど、通説にない話が多く書かれていて興味深い。

そして、直江状や家康が小早川秀秋に「問鉄砲」をした話、三成と吉継の友情エピソードなど、関ケ原の合戦を扱った小説やドラマでよく出てくるエピソードがフィクションだったり、一次史料に出てこないなど、小説やドラマのファンからするとショックを受けそうな話も多く出ている。

これは江戸時代に生き延びた大名家が正当化するために話を盛ったり、軍着もの(江戸時代の歴史小説)の作家が創った話によるもののようで、事情は理解できなくもない。

これからも研究はさらに進んでいくと思うので、注視していきたいと思った。




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