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『天正壬午の乱』:雨読夜話

ここでは、「『天正壬午の乱』」 に関する記事を紹介しています。

平山 優 (著)
戎光祥出版 (2015/7/10)


本能寺の変後に旧武田領国だった甲斐、信濃、上野が混乱状態に陥って徳川、上杉、北条の三氏が争奪戦を繰り広げた「天正壬午の乱」と呼ばれる戦乱を細かく解説している作品。

前段階の武田氏滅亡から話を始めていて、まず信長によって武田家の一門や甲斐の有力国衆の多くが処刑された一方、信濃や駿河、上野の国衆たちは領国を安堵された者が多かったことが背景になったことが語られている。

そして本能寺の変後に甲斐の河尻秀隆は家康家臣の本多信俊を暗殺したことで本多の家臣や一揆に殺害され、上野の滝川一益は北条氏と神流川の合戦で大敗して本国の伊勢に退却、信濃に領地があった森長可や毛利長秀も撤退と織田系の領主たちがいなくなり、徳川家康、上杉景勝、北条氏直が乗り出した他、木曾義昌や真田昌幸、小笠原貞慶、保科正直、諏訪頼忠といった信濃の有力国衆たちも自立の動きを見せている。

上杉景勝は信濃北部の川中島四郡は支配できたが新発田重家の反乱が激化したためそこまでで止まり、家康は甲斐を支配して信濃に酒井忠次を差し向けたが諏訪や小笠原との交渉に失敗して劣勢となり、北条氏直は大軍を率いて上野から信濃、甲斐に攻め入ったが戦略ミスで深入りしすぎて動きが取れなくなるなど、それぞれで誤算がいくつも発生している。

この戦乱の山場としては家康軍と北条軍が対陣した若神子の陣で、家康軍は4倍以上の兵力がある北条軍と敵対した形だが、
  • 各方面の局地戦で北条軍に勝利
  • 家康についた甲斐の国衆によるゲリラ戦で、北条軍の兵糧の補給ルートを遮断
  • 信濃で家康方の依田信蕃からの働きかけで真田昌幸が北条方から家康方に寝返る
  • 織田家による駿河方面への援軍や木曾義昌への工作
  • 家康から「東方の衆」(佐竹氏を中心に結城氏や宇都宮氏など北関東の反北条勢力)への働きかけ
など、打てる手を着実に打って徐々に情勢を逆転し、北条は上野、徳川は甲斐・信濃を勢力範囲とする形で和睦を結ぶことに成功している。

ただ、それぞれが信濃の国衆たちを味方につけるために実現が困難な手形を乱発してしまったため、その後真田や木曾、小笠原などが家康に反乱を起こして秀吉に付け込まれるなど、代償も大きかったことが書かれている。

本書を読むと家康が関東移封後に酒井忠次の息子の家次に3万石しか与えなかったのは信濃攻略戦での度重なる失策が査定されたのでは?と思ったり、関東移封によって木曾、小笠原、保科といった国衆たちを根拠地から引きはがすことで統治しやすくなっただろうと思ったりもした。

歴史の教科書や読み物では家康が火事場泥棒的に甲斐・信濃の支配に成功したように書かれているものもあるが、本書を読むと2ヵ国を攻め取るのはそう簡単にいくものではないことや、さまざまなIFがありえたこと(例えば酒井忠次がもう少しうまく交渉できたらとか、北条氏直が真田昌幸らの助言を受け入れていたらとか)、家康が織田領国を北条や上杉から守るという大義名分を得て軍事行動を起こすというスタンスはその後の言動ともつながってくるなど(多分)初めて知ることが多く、非常に読みごたえがあった。




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