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『「古代日本」誕生の謎―大和朝廷から統一国家へ』:雨読夜話

ここでは、「『「古代日本」誕生の謎―大和朝廷から統一国家へ』」 に関する記事を紹介しています。
「古代日本」誕生の謎―大和朝廷から統一国家へ (PHP文庫)
「古代日本」誕生の謎―大和朝廷から統一国家へ (PHP文庫)
武光 誠
PHP研究所 2006-01

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古代日本において、大和朝廷がどのように成立し、国家統一が成し遂げられていったのかを遺跡の出土や古事記その他の文献を元に考察している本。

まず、”大和”という地名についてだが、もともと纒向(まきむく)遺跡の場所周辺のごく狭い地域のことで、ここを中心に活動していた人々が大和朝廷を成立させたために現在の奈良県一帯、さらには日本全体を指すようになったという。
この大和周辺は先進国だった中国文化の伝来の遅い後進地で銅鐸文化が盛んな土地柄だったが、北九州から吉備を経て大和へ移住してきた人々によって大和朝廷が構成されたとしている。
そのため鏡や剣を祭る吉備の文化に多大な影響を受けており、地元民が祭祀に使用していた銅鐸が叩き割られた状態で発掘されるのはそのためらしい。

そして古代日本といえば邪馬台国の所在地が大和か九州かという論争が続いているが、著者は大和における遺跡で魏志倭人伝の時代に中国との交流が盛んだったと推定されるものが出土していないことなどを論拠として、邪馬台国九州説を採っている。
緩やかな小国家連合の盟主として魏や西晋といった中国の王朝と国交を持っていた邪馬台国は、中国の内乱で拠って立つべき利権を失ったことで弱体化し、東方から勢力を拡大してきた大和朝廷に征服されたと推定している。

大和朝廷は他の地域にも支配を広げていったが、戦争を起こして攻め込むことよりも首長霊信仰や文化、政治などのソフトパワーで徐々に周辺の豪族を従えることが多かったようで、関東以西はこの形だったことが出土品から推定されている。
ただし東北地方では首長霊信仰とは相容れない平等思想の文化が根強く、農耕を知っていても採用せずに縄文以来の狩猟や採集による生活を行っていたことなど、ソフトパワーの影響を拒否する場合が多かったために征服戦争のような形になったという。

ともすれば狩猟・採集から農耕というのは一般的な流れと捉えられがちだが、縄文時代の東日本に農耕は伝わらなかったのではなく、伝わっていても考えあって採用しなかったということが強調されており、広く物事を考える必要性を感じた。

本書を読み出したところでは大和の山の辺の道周辺の地名から古代の大和地方の話で、地名では全くピンと来なくてあまり面白くなかったが、大和朝廷が物部氏や葛城氏といった周辺の豪族を従えるあたりから話がつながりだし、日本全体のレベルに広がっていったので面白かった。




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